タクシージャパン 掲載コラム

システムオリジン40周年小史

40周年を迎えたシステムオリジン

 2023年2月21日を以て、システムオリジンは40周年を迎えた。感慨深い物がある。
 設立は1983年の2月21日だが、実は、創業への胎動はその前年から始まっていた。静岡市内の事務機器センターという、当時全盛のオフィスコンピュータ(オフコン)も一部で手掛ける事務機商社にいた若手4人が、黎明期にあったパーソナルコンピュータ(パソコン)のプログラムを勉強し、展示会に向けてソフトを作成するために同社の宿直室に28日間に渡る合宿をしたことが、システムオリジン創業に繋がる端緒であった。
 オフコンのプログラマーであった一人を除いてプログラムの素養は無く、好奇心に突き動かされた独学による試行錯誤が繰り返された。
当時のオフコンが埃をかぶっていて使われなくなるケースの原因を、営業とシステムエンジニアの現場実務に関する業務知識の不足に求め、そこで業種に特化し、業務ノウハウの集中的な蓄積による克服を目指し、縁のあったタクシー業界に的を絞ることにした。
 業種を絞ると市場が狭くなる問題については、音響カプラ(データを音声信号に変換する装置)による電話回線を通じた遠隔保守による全国展開によって克服しようとした。素人同然の我々が誇大妄想に近い目標を掲げて、資金も技術も無く、ただ、若さゆえ時間だけはある、と睡眠時間を削りながら開発、営業に没頭した。今の時代なら、まさにブラック企業そのものである。確かに、このぬかるみがどこまで続くのかと絶望しかけたこともあったが、一方で、新しい世界が開け、それまで出来なかったことが出来るようになることが楽しかった。

第2次創業

創業から9年たった1991年を「第2次創業」と位置付けて、それまでシステムオリジンの社長をお願いしていた静岡市タクシー事業協同組合の斉藤専務理事に代わって私が社長となり、現システムオリジン社長の海野知之専務(当時)と共に、本格的な全国展開を開始した。そして第2次創業の理念を「顧客の深いニーズと結びつき、顧客の抱える問題を掘り起こし、解決する自己革新的技術者集団を作る」とした。
 ある意味での自己修養を掲げた特異な会社理念と言えるかもしれないが、このマインドを失わなければ、システムオリジンは成長を続けられると強く信じたからである。

20周年、「未来への志」

 2003年、システムオリジン20周年の時に静岡市内で記念式典を開き、「未来への志」を掲げた。
 それは良いシステムをリーズナブルな値段で提供し、アフターサービスをしっかりとやる、というタクシー専門のソフトハウスとしての当然の責務を果たすだけで無く、タクシー産業の新しいビジネスモデル(生活総合移動産業)創造の役に立ちたい、という一歩踏み込んだ内容であった。
 それ以降、2004年には、完成したばかりの六本木ヒルズでのシンポジウム「タクシーの近未来を考える」を、2006年からは「オリジンタクシーゼミナール」を10回に渡って開催した。また、時間的には遡ることになるが2000年にスタートしたポータルサイト「タクシーサイト」も、そうした文脈での試みであった。さらに2012年からは、全国、全世界の先進事例を現地訪問、合宿形式で学ぶ【チームネクスト】が、今日まで32回に渡って行われている。

30周年 幕藩新体制

一方で、30周年を機に、社内の意識改革の仕組みとしての疑似分社化に併せたシステム部門(技術者)と営業部門の一体化を試みた。疑似的な各分社のトップをシステム部門の責任者が勤め、営業部隊がサポートし、ともすれば生じがちな営業部門とシステム部門の軋轢をソフトハウスとしての生産性の改善に結び付ける形で昇華しようとした。
 この疑似的な分社化を、古めかしい表現だが「幕藩体制」とし、疑似分社の自律性と、幕府(本社)の持つ横ぐし機能と全体の統合機能を表現するのにふさわしいと思い、こうした表現とした。現在はカンパニー制という現代風の表現に変わってはいるが、この新体制は大きな成果があったのではないか、と感じている。
 組織の構成員の力を発揮できる構造的枠組みが如何に大事か、そしてそれを実現する為の組織されたコミュニケーションの場とその蓄積が重要であり、その為には決定権者の強いリーダーシップが必要とされることを改めて強く感じる。

40周年 次の世代へ

2016年、海野新社長の下でシステムオリジンの新しい体制が発足した。課題は2023年の40周年に向けて、次の30年を担う新しい組織的核の養成である。
システムオリジンがその顧客基盤とするタクシー業界は、大きな変動、変革の波にさらされるだろうし、当然ながらシステムオリジンもそれに対応した新しい製品群と組織体制を確立していかねばならないだろう、と予測した。特に次代を担う経営陣には、そうした変化による危機を乗り切ってこそ、社員の信頼と承認を得ることになるだろうとの仮説を立て、2016年の新体制から7年後の40周年が、その節目になるだろうと当時の私は考えた。
 そして創業のメンバーの一人である私がシステムオリジンの経営から退くことが、そうした動きの促進剤になると考え、2016年の3月を以てシステムオリジン本体の役員を退任し、子会社である株式会社タクシーアシストの活動に専念した。さらに2018年10月にタクシー配車アプリのDiDiモビリティジャパンの業務委託を引き受けたことにより、タクシーアシストからも退任した。
 2020年9月にDiDiモビリティジャパンの業務委託が終了し、改めて自分の行くべき道を考えてみた。そしてシステムオリジン20周年の時から目指してきた、タクシー業界の新しいビジネスモデル創造に役に立ちたい、という原点に立ち戻ることにした。
 その上で、「隗より始めよ」の言葉通り、自らがタクシー事業の現場に立つことによって何かが掴めるのではないかと、2021年1月に静岡市内のタクシー会社を買収し、さらに静岡市内にタクシーの「地域全体最適プラットフォーム」=【静岡TaaS】を作り上げることを目指している。
 そうした試みの実現は、システムオリジンの組織的サポート無しにはできないので、【戦略企画担当取締役】として2021年3月にシステムオリジンの役員に復帰させてもらった。

オリジン40年の教訓

40周年を迎えたシステムオリジンから私が得た教訓は、創業時の「ゼロからの出発」であっても、40年という継続的な努力の蓄積と、社員を含む人々のサポートと幾ばくかの運があれば、【夢のまた夢】の世界も実現できるという教訓である。
 静岡TaaSを通じた移動の新しいビジネスモデル創造の試みは、まだまだ成果を出せず、困難が続いているが、あの創業期のシステムオリジンと比べれば遥かに恵まれている。
73歳になった私に残された時間はそう長くはないが、20年来の【未来への志】に現実的にトライできるだけでも、ありがたいことだ。たとえ【成功】は出来なくても、失敗を含めて【教訓】は残せる。
システムオリジンの次世代の経営者が、きっとそれを生かしてくれるだろう。
(2023年2月21日、システムオリジン40周年の日に)


清野 吉光(きよの よしみつ) 略歴
1950年 長野県四賀村生まれ、印刷関係など様々な職業に従事。1976年 清水市の日の丸交通入社。1980年 静岡市内の事務機器センターに入社。1982年 システムオリジンを仲間と創業、専務取締役。1992年代表取締役社長就任。2016年3月 システムオリジン社長退任。クリアフィールド取締役。2021年3月 システムオリジン戦略企画担当取締役に就任。2021年5月 一般社団法人静岡TaaS代表理事に就任。

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